秋葉原中央通りを横切るあの橋はなに?調べてみたらすごい橋だった!

細田貴洋細田貴洋
歴史 ここへん

細田貴洋

アキバの中央通りを歩くと、緑の橋が見えます。

あれ、実はすごい橋だったんです!

秋葉原の中央通りを歩くと緑の橋が見えますよね。

中央通りを歩いていると、どちらが秋葉原方面かわからないとき、あの橋が秋葉原駅方面を知るランドマークともなっています。

中央通りにかかる緑の橋

これって何なのでしょうか?

調べてみたらすごい橋だったので、

今回はその橋についてついて詳しく紹介します!

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「中央通りを横切る橋」は何?

あの橋は、総武線という電車が通る鉄道橋です。

総武線は東京と千葉をむすぶ路線です。

秋葉原駅には総武線が通っていて、中央通りを横切るようにこの橋とガードが、となりの御茶ノ水駅まで続いています。

ガード下にはたくさんのお店が入っています。

この橋は鉄道橋だった!
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「中央通りを横切る橋」の名前は?

実はちゃんとした名前があります。

その名も

御成街道架道橋(おなりかいどうかどうきょう)」。

細田貴洋

中央通りを横切る緑の橋は「御成街道架道橋(おなりかいどうかどうきょう)」という名前!

めちゃくちゃ歴史のある橋だった!

実はめちゃくちゃ古い「1932年(昭和7年)」に建設されました!

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1932年(昭和7年)に建設された歴史遺産級の鉄道橋だった!

何回か外観の塗装工事が行われていますが、橋自体は当時のまま使用されています!

ということは秋葉原を通る総武線の鉄道橋もそのくらいの時期にできたということなので、総武線のガード自体、かなり歴史のあるものだったのです!

たしかに、実際に見てみると歴史のある感じがありますよね。

たくさんのお店が入る総武線ガード下
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東洋一の大陸橋

建設当時はまわりに高い建物がなく、この「御成街道架道橋」と秋葉原を通るガードは遠くからもよく見えたとか。

なので、「東洋一の大陸橋」と呼ばれていたらしいです!

1934年頃の中央通りと「御成街道架道橋」。奥は御茶ノ水駅方面
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1934年頃の中央通りと「御成街道架道橋」。奥は御茶ノ水駅方面。
Wikipedia「御成街道架道橋」より引用

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「東洋一の大陸橋」と呼ばれていた!

なんのためにできたの?

関東大震災がきっかけ

総武線はもともと

千葉方面→本所駅(のちの錦糸町駅)

というルートでしたが、

1899年(明治33年)に両国橋駅(のちの両国駅)まで延伸。

1923年(大正12年)に関東大震災が発生。

震災復興のため1932年(昭和7年)に

両国駅→浅草橋駅→秋葉原駅→御茶ノ水駅

というルートが作られました。

そのときにつくられたのが、「御成街道架道橋」と秋葉原を通るガードだったというわけです。

なんで橋にしたの?

今と比べて何もなかった秋葉原。

鉄道のレールを敷くなら簡単にできたはずですが、なぜ鉄道橋になったのでしょう。

それは秋葉原にすでに都電(路面電車)が走っていたからなんです。

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昔、秋葉原には都電がバンバン走っていた!

なんでも秋葉原の万世橋近くにあった万世橋駅は都電のターミナル駅でかなりにぎわっていたようで、もちろん秋葉原にもバンバン都電が走っていたわけです。

だからあとからできた総武線は橋をかけて、都電の上を通るしかなかったんですね。

ターミナル駅としてにぎわっていた「万世橋駅」
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ターミナル駅としてにぎわっていた「万世橋駅」。
Wikipedia「万世橋駅」より引用

なんでこの名前?

なんで「御成街道架道橋」というすごそうな名前なのか。

しかも「御成街道」は秋葉原にはないですよね。

実は、江戸時代に徳川家が寛永寺の参詣のために使った「下谷御成街道」が由来でした。

「下谷御成街道」とは

筋違橋(万世橋橋の近くにあった橋)から下谷広小路(現在の上野広小路)を経て、寛永寺(現在の上野恩賜公園)まで続いました。

「下谷御成街道」はほぼ今の中央通りと重なっていたようです。

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中央通りは昔「下谷御成街道」という徳川家の参拝用の道だった!

(おまけ)秋葉原にある鉄道橋

総武線が御茶ノ水駅まで延伸になったとき、交通量の多い昌平橋交差点と神田川に橋をかけて、またぐ必要がありました。

しかし、ここがかなりの難所。

それぞれ工夫をこらした橋が建てたれました。

松住町架道橋

「御成街道架道橋」から御茶ノ水駅方面に歩くとあらわれるのが「松住町架道橋」。

特徴的なのはきれいなアーチの形。

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特徴的なのはきれいなアーチ状!

都電などが走る交通量の多い昌平橋交差点をまたがないといけないため、橋を支える柱がなくても強度の高いアーチ状の橋になったんだとか。

この橋も1932年に建設され、今も現役です。

神田川橋梁

「松住町架道橋」を過ぎて、さらに御茶ノ水駅方面まで歩くと、神田川を渡っている橋があらわれます。

これが「神田川橋梁」です。

名前のとおり、神田川を総武線が渡るためにつくられた橋です。

特徴的なのは橋を支える柱が漢字の「八の字」になっていること。

橋と梁が一体になっているこの構造を「ラーメン構造」といいます。

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橋の構造は「ラーメン構造」!

「松住町架道橋」と「神田川橋梁」は秋葉原のランドマーク的存在。

御茶ノ水駅付近の聖橋から、秋葉原方面を見ると「松住町架道橋」と「神田川橋梁」そして電気街の風景を一望することができ、ドラマや映画にも使われています。

御茶ノ水駅方面から秋葉原方面を望む
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御茶ノ水駅方面から秋葉原方面を望む。
Wikipedia「神田川橋梁」より引用

まとめ

中央通りを横切る緑の橋の名前は「御成街道架道橋おなりかいどうかどうきょう)」

1932年(昭和7年)に建設された歴史遺産級の鉄道橋、しかも建設当時のまま現役

関東大震災の復興で総武線が御茶ノ水駅まで延伸するので建設された。

・秋葉原にはすでに都電が走っていたので、鉄道橋にせざるを得なかった。

中央通りは徳川家の参拝の道「下谷御成街道」だった。

今回紹介した鉄道橋&秋葉原駅からの散歩ルートはこちら!
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「総武線ガード下」のお店についてはこちらの記事をチェック!
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この記事を書いた人

地理・地図に詳しい【地理・地図ライター】。大学で地理学(都市地理学)を学んだあとライターとしての活動をスタート。FM NACK5にも出演。地理がテーマの個人ブログ「芸術地理学通信」、地理ネタ専門YouTubeチャンネル「細田貴洋の地理ちゅーぶ」も運営中。詳しくは「細田貴洋 地理」で検索!

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