【疑問】秋葉原はなぜ千代田区なの?気になったので調べてみた

細田貴洋細田貴洋
ここへん アキペディア

新宿は新宿区、渋谷は渋谷区。

では、秋葉原は…

と言われて答えられない方も多いのではないでしょうか。

正解は千代田区です(一部台東区もありますが、大部分が千代田区)。

千代田区って、皇居とかオフィス街のイメージで、秋葉原のイメージとは違うような…

千代田区といえば官公庁、皇居、オフィス街といった厳かでお堅いイメージ。

対して秋葉原はご存知のとおり電気街、アニメ・ゲーム、メイド、アイドルとカオスな街。

どう考えても千代田区のなかで異質な街といえます。

どうしてお堅い感じの千代田区にカオスな秋葉原があるのでしょうか。

細田貴洋

そもそも、なぜ秋葉原は千代田区なのでしょうか。

目次[閉じる]

そもそも千代田区とは?

そもそも千代田区とはどんな区なのでしょうか。

千代田区の概要

千代田区とは東京23区の中心にある区です。

皇居や国会議事堂がある、いわゆる東京・日本の中心というイメージですよね。

ということで、千代田区にあるそれぞれのエリアを見ていきましょう。

画像引用:みんなの行政地図(https://minchizu.jp/tokyo/t-chiyoda.html)
画像引用:エリア一覧|【公式】東京都千代田区の観光情報公式サイト / Visit Chiyoda(https://visit-chiyoda.tokyo/app/area)

皇居・東京駅・日比谷

皇居や東京駅、日比谷公園がある厳かなエリア。

皇居東御苑、皇居外苑、日比谷公園は落ち着いた静かなエリア。都会にありながらゆったりとできます。

東京駅はターミナル駅としてはもちろん、赤レンガが特徴的な駅舎。

建物をじっくり観るのもいいですね。

赤レンガが特徴的な東京駅
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麹町・半蔵門・永田町

国会議事堂のある永田町をはじめ、官公庁や大使館が多いエリア。

まさに「政治の街」といえます。

また、もともと大名屋敷が多かったこのエリア。

歴史ある旧居跡を訪ねるのも良いですよね。

国会議事堂
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秋葉原・神田

ご存知、秋葉原のあるエリア。

秋葉原は電気街、オタ街として有名で「Cool Japan」の発信地です。

また神田は神田明神などの神社、そして昔ながらのお店が多いなど、下町の雰囲気を味わえるエリアです。

神保町・お茶の水

大学や古本屋が多い文教エリア。

神保町古書店街は有名です。

また神田スポーツ店街やお茶の水楽器店街といった専門店が集まった通りもあります。

さらに神田カレー街には50を超えるカレー店が並びます。

古書店が並ぶ神田古書店街
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飯田橋・九段・市ヶ谷・北の丸

オフィス街としてはもちろん、歴史あるスポットが多いこのエリア。

千鳥ヶ淵緑道、靖国神社は桜の名所として有名。

北の丸公園では江戸城の面影を見ることができます。

北の丸公園の「田安門」。北の丸公園では江戸城の面影を見れます。
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細田貴洋

こうやってみると、千代田区は皇居、江戸城の史跡、官公庁、オフィス街といったお堅いイメージのエリア。

ますます秋葉原が千代田区なのが謎。

なぜ秋葉原は千代田区なのか

このような感じで皇居、江戸城の史跡、官公庁といったお堅いイメージの千代田区になぜ秋葉原があるのでしょうか。

そもそも秋葉原は神田の一部

そもそも秋葉原は「神田」という地域の一部。

というより江戸時代は「秋葉原」という街自体がなく、秋葉原一帯は「神田」という認識でした。

江戸時代、江戸城を中心とした江戸の街が形成され、神田も東部が町人が住むエリア、西部は武士の住むエリアとなりました。

そのため、東部では城下町建設のために全国から様々な職人が集められ、商工業が盛んに。

秋葉原は神田東部の町人が住むエリアに含まれます。

江戸時代、秋葉原は江戸城の城下町、町人の街だったのです。

細田貴洋

POINT!

そもそも秋葉原は「神田」という地域の一部なんだって

明治になると「神田区」の秋葉原に

そして明治時代になると、1878年(明治11年)に「神田区」が誕生。

神田は神田区、秋葉原も神田区の一部となったのです。

また神田区のとなり、皇居とその周辺地域は「麴町区」となりました。

明治時代、秋葉原はというと。

1870年(明治2年)の大火で空き地になり、そこに貨物駅としての秋葉原駅が完成(1890年・明治23年)。

貨物輸送・交通の要所として栄えていました。

細田貴洋

POINT!

明治になると、神田は「神田区」、秋葉原も「神田区」になった。

「神田区」は焼け野原に…となりの区と合併へ

戦後、空襲により東京都心は焼け野原となりました。

神田区と麴町区でも両区の面積の3分の2が焼け、20万以上あった人口が3万人になってしまいました。

一方で区に対する行政、財政の権限が拡大され、それに対応するために区の統合が必要に。

最初は今までの35区から12区にする案、もしくは25区にする案があり、12区案では麹町・神田・日本橋・京橋・芝の5区の合併が検討されていました。

最終的には25区案を修正した22区案が採用され、各区が合併を検討。

そこで隣り合う神田・麴町両区は1947年(昭和22年)に合併して「千代田区」となったのです。

よく見ると明らかに神田・秋葉原周辺エリアが千代田区域から出っ張ってますよね。

千代田区のはずれというか。

これを考えると、神田エリアがあとから合併したということがよくわかります。
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細田貴洋

POINT!

「神田区」と皇居周辺エリアの「麴町区」が合併して「千代田区」に

なぜ「千代田区」という区名に?

よくありそうなのが、「麴田区」とか「神麴区」「神田麴町区」とかですが、そうはならず…

「千代田」とはが江戸城の別名「千代田城」にちなんだもの。

神田・麴町両区は江戸城を中心に発展したことから「千代田区」となったそうです。

「千代田」という名前は江戸城から来てるんですね。

細田貴洋

POINT!

神田区と麴町区の共通のアイデンティティ「江戸城」の別名が区名に

あれよあれよと現在のアキバが完成

戦後、神田区と麴町区が合併して「千代田区」が完成したそのころ…

秋葉原は当然焼け野原で、そこに電子部品を売る露天商が集まっていました。

1949年(GHQが露店撤廃令を施行したことで、露天商は秋葉原駅のガード下に集まり、秋葉原の電気街がスタート。

そこから電気街→オタ街となり、さまざまな側面をもつ現在の秋葉原が形成されました。

まとめ

■ 秋葉原は神田の一部(千代田区に秋葉原という住所はない)

神田は戦前「神田区」だった。

「神田区」は空襲で焼け野原になり、人口が減少。

それにより、となりの「麴町区」と合併し「千代田区」が完成した。

「千代田区」の「千代田」とは江戸城の別名

こうやって見ると、秋葉原のある神田は江戸城の城下町として栄えていて、その影響もあってか皇居のある麴町区との合併も抵抗がなかった、という感じなのでしょう。

千代田区は江戸城の城下町跡、というイメージであれば納得できます。

しかし、そんな江戸城の風情が残る、お堅いイメージのエリアに「秋葉原」ができたのはまさに奇跡というか、異例の出来事というか。

だから秋葉原だけ千代田区の中で異質な街になってしまった、秋葉原と千代田区のイメージが合わなくなってしまった、ということなのでしょう。

細田貴洋

POINT!

お堅いイメージの千代田区に秋葉原ができたのは奇跡!!

参考サイト

https://visit-chiyoda.tokyo/app/area

https://smtrc.jp/town-archives/city/kanda/index.html

この記事を書いた人

地理・地図に詳しい【地理・地図ライター】。大学で地理学(都市地理学)を学んだあとライターとしての活動をスタート。FM NACK5にも出演。地理がテーマの個人ブログ「芸術地理学通信」、地理ネタ専門YouTubeチャンネル「細田貴洋の地理ちゅーぶ」も運営中。詳しくは「細田貴洋 地理」で検索!

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